#160(2025ー83)「推し」は私の背中を押してくれるヒーローだ
今週は、ほんと仕事がしんどかった・・・・。
いろいろな人が、好き勝手にボールを投げてくる。
私は、それを必死で投げ返すのだけれど、
私が投げ返せる何倍もの量のボールが、四方八方から投げつけられる。
私の手元には、投げ返せないボールが日々溜まっていく・・・。
夜な夜な残業の日々。
「藁人形に釘でも打ち付けたろか!!」と思うけれど、
はて、誰の藁人形を作ったらいいのかもわからない・・・。
ギリ、日付が変わる数分前に家にたどり着いた金曜日。
メンタル、極限・・・。
土曜日の朝、重い身体をベットから引きずり出す。
睡眠不足続きの身体はしんどいけれど、
「とりあえず、身体よりも心のリカバリーが先や!!」
そう決めて、朝早く家を出る。
推しの映画を見て、
推しの雑誌を買った。
ひとりランチを楽しみ、
推しのSNSを見て、推しの写真集をネットポチッ!した。
1日総歩数22,000歩を歩いたことも加わり、
特別な「推し」がいない我が子が、
「そんな1日でスッキリメンタルリカバリーすることって、ある??」
と呆れる(笑)。
でも、そうです、そんな世界があるのです。
「推し」は、私を一瞬で、この日常のしんどさから別の世界につれて行ってくれるのです。
生まれてからずっと「推し」がいなかった私は、
今までずっとその感覚はわからなかった。
でも、今はわかる。
「推し」は、しんどい現実から救い出してくれる。
そして、再び、現実世界で頑張ろうと思える力をくれる。
問題の根本を解決するのも重要だけれど、
自分自身がそのストレスを跳ね返す力を持つことで、
頑張れることもある。
ちなみに、アメリカの心理学者ラザルスが提唱したコーピング(ストレスに対処するためにとる行動)でも、
①問題焦点型コーピング(=ストレッサーそのものに対応する)
②情動焦点型コーピング(=問題に対する自分の捉え方や認知を変える)
③ストレス解消型コーピング(=気晴らしでストレスを解消する)
となっていて、気晴らしストレス解消もちゃんとしたコーピングのひとつとして捉えられている。
「推し」に救ってもらった私は、
来週も山盛り投げつけられるボールと戦える気がする。
職場の人達には、
「私がこんなに頑張れてるのは、「推し」のおかげやねんで~!!
私の「推し」に感謝し~や~!!」
と思ってしまう。だる(笑)。
さぁ、来週も「推し」に背中を押してもらいながら、頑張ろう。
「推し」は、私の背中を押してくれるヒーローだ。
#159(2025ー82)隠れて散水栓の水を飲んだ、夏休みの軟式テニス部
今週のお題「部活」
今週の「お題」を見て、一番に思い出したのは、
夏休み、顧問の目を盗んで散水栓から飲んだ水だった。
ほんと、美味しかったな・・・。
今では考えられないけれど、
昔は、練習中の水分摂取が禁じられていた。
休憩になって、やっと飲むことができる。
でも、真夏の運動場は、
遠くに陽炎が見えるぐらい暑く、
炎天下で身体を動かし大量の汗をかく私達は、
30分もしない間に、口の中はカラカラ、気道もカラカラ。
それでも、当時、絶対的な権力者である運動部顧問に、
「水飲んでいいですか?」なんて言えるツワモノはどこにもおらず・・・。
そこで、私達がとった行動、
それは散水栓の水を飲むこと。
当時、運動場の隅にある体育倉庫の裏には、
散水栓があった。
軟式テニス部だった私達は、
わざとボールが体育倉庫裏に飛ぶように打つ。
そして、
「ボール拾ってきま~す!」と体育倉庫裏に向かってダッシュ。
そこで急いて散水栓の蛇口から水分を飲み、
何食わぬ顔をしてコートに戻った。
生ぬるい水だった。
今思えば、衛生的に飲用可能な水だったかも疑問だ(笑)。
でも、乾いた私達にとっては、ほんと美味しい水だった。
最高だった。
そして今思い返すと、
顧問も気付いていたんじゃないかと思う。
気付いたけれど、気付かないふりをしてくれていたんじゃないかと思う。
遠いあの時代、
乾いた私達には、イオン飲料も経口補水液も塩タブレットもなかった。
顧問の目を盗んで散水栓の水を飲むのが精一杯だった。
それでも、散水栓の水は、本当に美味しかった・・・。
そんな懐かしき昭和の青春風景なのでした。
#158(2025ー81)いろいろな考えに共感する
前回のブログのちょっとだけ続き。
私自身、幸せになるためには努力が必須だと思っていた。
「現在」の犠牲も、「未来」の幸せのためには必須だと思っていた。
ちなみに、長女次女もそんなふうに思っている。
でも、三女は全く違っていて、
「頑張らなくても幸せになれる」と思っている(笑)。
頑張らなくても、「好きなことをやっていたら幸せやん〜」やし、
「現在」の犠牲と「未来」の幸せは関係ない、と思っているようだ。
五十知命、正直いうと迷走中(笑)。
正解はわからない。
この年でわからないのだから、多分一生分からないだろう(笑)。
それどころか、
若い頃は、自己勝手な確信や思い込みから「こうだ!!」と言えていたことが、
年を重ねると「それもありだよね~」と思えるようになってきたからこそ、
逆に断言できなくなってきたことが、我ながら笑える。
ただ、どちらにも共感できるようになった今の自分の方が愛おしい、
そう思える五十知命なのでした。
#157(2025ー80)課題が山盛り残っていても、明るい三女(笑)
我が家の末っ子、三女は、
恐ろしくマイペース。
三人姉妹、同じように育てたつもりだが(いやいや、3人目は、孫のように育ててしまったかもしれない・・・)、全くもって「ふんわり」と生きている。
テスト1週間前に入った昨晩になって、まさかの「ワークブックが80ページ残っている・・・・。テストまでにやらなあかん課題やのに・・・。」と気が付いた様子。
「あかん、テスト勉強出来へんわ・・・。しゃーないな・・・(笑)」だと・・・?
なんやねん、その開き直り。
「しゃーなくないやん!!」と突っ込むのも忘れて、唖然としてしまった・・・。
でも、どこまでもカラリと明るい三女。
まぁ、ここで、
「ど~しよ~(涙)。課題、期限までに終わらへんやん・・・。テスト勉強出来へんやん・・・。」
とグチグチ言われたら、
「そんなん、今頃言ってもしゃーないやん!!自分が悪いんやろ!!」と私自身切れるしかないから、これぐらい「あっけらかん」としている方が、実はありがたいのかもしれない・・・。
そんな山盛り課題を残しながらも、
今日も機嫌よく登校する三女は、ある意味「アッパレ!!」。
そして、どこかそんな三女にいつも救われている、五十知命なのでした。
と書きつつも、
本当は、長女次女が言うように、「ワークブック課題なんて、テスト1週間前に入る前に片付けておくのが常識やん!!」となってくれることを願う・・・、
いやいや、三女は今のままでいいのかもしれない・・・、
と自問自答を繰り返している五十知命なのでした。
#156(2025ー79)配慮範囲を広くする、ということ。
運転免許の更新に行ってきた。
私のあいまいな記憶では、
前回の更新時は、
更新手続きの流れに乗って、「あたかも加入するのが当たり前」みたいな感じで交通安全協会加入したように思うのだが、
今回は、
「加入いただけますか」の問いに「はい」と応えると、「加入いただけるのですか?」「会費が別途かかりますよ?」と、「義務ちゃうけど、ホンマに加入してくれるのん?」という感じで、念押し聞かれた。
(きっと後から苦情を言う人がいるんやろなー、という勝手な推測(笑))
元々加入しようと思っていたので、会費を払い加入して帰ってきたのだが、
家族からは「何もメリットないのに、なんで入ったん〜?」と、とても好奇な目で見られた。
確かに、何もメリットはない、と思う(あるのかもしれないけど、私は今まで享受したことはない)。
多分、これからも直接的な恩恵を受けることはないだろう。
じゃあなんで入るのだろう、と考えた時、一番しっくりきたのが「配慮範囲」という言葉だった。
「配慮範囲」というのは、「時間」と「人」のふたつの軸で、自分自身が関心・興味・思いを馳せる範囲の広さを表す概念だ。
時間のベクトルで考えると、
「今」しか考えられない人は、配慮範囲が狭いし、
「過去」や「未来」を考える人は、配慮範囲が広い。
同じ「過去」や「未来」でも、
直近しか考えられない人よりも、遠い過去や未来まで考えられる人は、さらに配慮範囲が広いと言える。
人のベクトルで考えると、
「自分」しか考えられない人は、配慮範囲が狭いし、
「他人」を考えられる人は、配慮範囲が広い。
同じ「他人」でも、
家族や友達しか考えられない人よりも、出会ったことのない人にまで思いを馳せられる人は、さらに配慮範囲が広いと言える。
カンタンに言うと、
配慮範囲が狭い=利己的、配慮範囲が広い=利他的
ということらしい。
と同時に、配慮範囲が広い人は、幸福を感じられる範囲も広い=幸福度が高いそうだ。
今の自分にしか幸せを感じられない人よりも、
過去や未来、他者に思いを馳せれる人の方が確かに幸せを感じられる気がする。
配慮範囲の私の中での解釈はコレぐらいにして、
ありがたいことに、我が家の娘たちは今まで交通事故に遭うことなく大きくなった。
でも、これって当たり前のことじゃないと思っている。
ほんと、感謝すべきこと。ありがたいこと。
だから、交通安全協会の加入は、その感謝の気持ち。
今の小さな子ども達が、未来の小さな子ども達が、
交通事故の犠牲になりませんように。
交通事故で悲しむ思いをする人がいなくなりますように。
そんな願い、祈りを込めて、
お布施のような気持ちで会費を払った五十知命なのでした。
#155(2025ー78)右足を出して、左足を出したら、結果的に前に進んでいる
私のとっておきの珠玉の言葉が、
まったく琴線に触れなかった我が子(笑)。
その我が子が、
見つけたことば。
今まで全身全霊で取り組んでいた競技が出来なくなった相談者に対する、菊池風磨の言葉。
(我が子の話から書いている文章なので(私は直接そのSNSを見ていない)、内容が若干違っていたらごめんなさい・・・)
「これからどうやって前に進んだらいいか分からない」という彼女に対して、
「前に進もう、と思わなくていい。
右足を出して、左足を出したら、結果的に前に進んでいるから。」
という答えだったそうだ。
我が子も、この言葉にとても救われたみたい。
菊池風磨の言葉、とってもあたたかいな~って思った。
菊池風磨に感謝するとともに、
その言葉に出会えたことがセレンディピティなんだと思う
五十知命のでした。
#154(2025ー77)言葉は、時と相性とタイミング
最近、
学校生活、山盛りの課題(それも困難極まりないらしい・・・)に追われ、
その合間にテストもあり・・・、と
心身ともにしんどそうな我が子。
「辛い時苦しい時、言葉は救いになる」と心から信じている私は、
ここぞとばかり、自分の引き出しから、選びすぐりの言葉を伝えてみた!
(私自身が今まで幾度となく勇気づけられた、
母、ドヤ顔で「どーよ!!」と伝えたけれど、
我が子には全く響かないらしく、
「そんなん、どーでもええねん・・・。」
「興味ないな・・・。」
と全くもって、つれない・・・。
私の珠玉の言葉たちなのに・・・(涙)。
でも、まーしゃーないか、とも思う。
私自身、言葉にはとてつもなく大きな力がある、と信じているけれど、
いつでもその力を享受できるわけではない。
時と相性とタイミング。
たとえば、
私の大好きな水野敬也先生の「夢をかなえるゾウ」シリーズ。
私や三女は、読むたびに「そうそう!」「そうやわ!!」って感化されるのだが、
次女は、「『コレをせな幸せになられへん』って強要されているみたいでイヤ」らしい(笑)
そんな次女だが、
読む時、読むタイミングによったら、
「夢をかなえるゾウ」の言葉は、
心に響く時がある、琴線に触れる時がある、と私は思っている。
人との出会いと一緒、
言葉との出会いも、時と相性とタイミングが重要、
そう思った五十知命なのでした。